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東北地方太平洋沖地震 ブログトップ

3.11 あの日から1年 [東北地方太平洋沖地震]

 2011年3月11日発生した東日本大震災(東北地方太平洋沖地震),本日で1年となりました。
 午後2時46分には黙とうをささげました。テレビの追悼番組を見ていたら,こみ上げるものがありました。

 地震発生時の体験につきましては,マイカテゴリーの「ごあいさつ」及び「東北地方太平洋沖地震」に掲載してあります。久しぶりに読み返してみました。 
 【みなと】の自宅は茨城県笠間市に,職場は筑西市にあります。去年の3月11日はどちらも震度6強を観測しました。
 今でもあの体験の記憶が時々よみがえります。しかし,正直に申しますと,防災意識が徐々に薄れていることは否めません。

 東日本大震災の余震は未だに続いており,また茨城県沖では今後マグニチュード8クラスの地震が起きる可能性が伝えられています。
 そして,大震災で亡くなられた方や行方不明になられた方,さらにご自宅に戻れず仮設住宅暮らし等を続けていらっしゃる方が大勢であることを忘れてはならないと感じております。

 微力な自分にできることと言えば,「万一に備え防災グッズを用意しておくこと」,そして「怪しい気象条件(地震雲)を見かけたときは早めにお知らせすること」ぐらいですが,これからも可能な限り続けてまいります。
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南部せんべい@巖手屋(いわてや) [東北地方太平洋沖地震]

 【みなと】家のHが,大手電機メーカーTの関連工場(神奈川県相模原市)まで出張した際,お土産に南部せんべいをいただいてきました。
 早々と包装紙を破ってしまいましたが[たらーっ(汗)] こちらは岩手県二戸市にある巖手屋(いわてや)というお店で作られたものです。
DSC02030.JPGDSC02032.JPG
 Hの話ですと,同行者も含め,もらったお土産はすべて東北地方のものだったそう。
 こうした心遣いは,会社の方針なのか,それとも担当者が決めたのか…いずれにしても,「東北地方の物産を積極的に購入し,復興の力になろう」という姿勢を評価したいと思います[わーい(嬉しい顔)]
   がんばろう日本 がんばろう東北
   そして がんばろう茨城[かわいい]  
 南部せんべいは重曹入りで幾分柔らかめ。歯が丈夫でない方でもおいしく食べられると思います。
 大変ごちそうさまでした[揺れるハート]

  巖手屋(いわてや) http://www.iwateya.co.jp/

東北地方太平洋沖地震を経験して・その7 [東北地方太平洋沖地震]

 2011年3月11日(金)に発生した東北地方太平洋沖地震,本日でまる11日が経過しました。
 【みなと】家では17日(木)に水道が復旧し,入浴や洗濯が可能になりました。ガソリン不足は以前として深刻ですが,今週中には解消されそうだと聞いております。
 JR水戸線の再開にはかなり時間がかかりそうですが,これも気長に待つしかないでしょう。

 とりあえず生活は落ち着きそうですが,実はまだ強い余震が起きております。体に感じる地震は,一日に20回程度でしょうか。職場でも自宅でも「地面が揺れているのか,自分が揺れているのかわからない」と半分冗談,半分本気で話をしています。
 母も,11日の猛烈な震動(詳しくは3月17日付けの記事をご参照願います)がトラウマになっているらしく,「独りでは家の中にいたくない」「半年ぐらいはプレハブで寝起きする」と申しております。これも落ち着くまでは仕方ないですね。
 【みなと】も無意識のうちに疲労をため込んでいるようで,ちょっとしたことにすぐイライラします。気を付けないと。

 被害の大きかった岩手,宮城や福島の状況を見ていると,復旧までには相当の時間がかかりそうです。
 今は,余震や原発への速やかな対策を国や自治体にお願いするのと同時に,被災者の皆様が心身ともに安らかに過ごすことのできる日が,一刻も早く訪れることをお祈り申し上げます。

 【みなと】が経験した大地震に関する記事は,本日でひとまず終了いたします。
 今回の被災経験が皆様のお役にたてば,との思いから掲載を始めたのですが,綴っていくうちに,自分の行動や考えを客観的に振り返ることもできました。

 さて写真は,茨城県那珂市にある茨城県植物園のザゼンソウ。今月9日に撮影しました。
 あれからもう2週間。こちらの植物園も相当な被害を受けたらしく,現在は閉園中です。
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 名の由来ですが,「花のつき方の様子が,僧侶が座禅をしているのに似ているから」ということで,牧野富太郎博士が命名されたそうです。
 ザゼンソウの祈りが,どうぞ被災地にも届きますように。

東北地方太平洋沖地震を経験して・その6 [東北地方太平洋沖地震]

 東北地方太平洋沖地震発生直後から燃料不足,特にガソリン不足の問題については指摘されていました。災害時には移動手段や避難所として自家用車を使わざるを得ない人が多く,需要が供給を大幅に上回ることは簡単に予想できるからです。

 【みなと】家ではHが車を保有し,ハイオクガソリンを給油しています。
 「震災でJR水戸線復旧のめどが立っていない」と聞いた時,【みなと】はHに職場近くまで送迎してもらおうと単純に考えていました。
 しかし,どこのガソリンスタンドでも車の行列がものすごく,しかも給油量が制限されている様子。二人で乗るとその分ガソリンも余分に消費されます。Hもあまりいい顔をしないので,平日は職場近くのホテルに泊まることにしました。費用はかかりますが,緊急事態なので仕方ないでしょうね。

 【みなと】の職場,マイカー通勤者がほとんどで,しかも比較的長距離の方が多いです。皆さん給油には非常に苦労なさっているため,住まいが近い者同士で相乗りをするようになりました
 しかし,スタンド沿いの道路は給油待ちの車が幅をきかせ,通行にも支障をきたしている状態。渋滞すればその分,さらにガソリンを食うことになり,まさに悪循環[ふらふら]
 会社近くにお住まいの場合,徒歩や自転車での通勤を始めた方もいらっしゃいます。

 先日JRの方に「代行バスを走らせるなどして,何とか対応できませんか」とお尋ねしましたが,「今の段階ではどうなるかわからない」と言われるばかり。
 せっかく前向きになった気持ちが,また後ろに切り替わりそう。
 現実直視も必要ですが,時には自分の世界にこもりたい。静かな場所で,目を閉じて楽しいことを考えると,いくらか明るい気分になれます。
 皆様のブログを拝見するのも,良い気分転換になっております。キレイな写真,美しい音楽やおいしそうな食事の様子など掲載していただき,ありがとうございます[かわいい]
 
 それでは,続きはまた明日にいたします。
 さて,今日の話からの教訓を。
[満月]災害時はガソリン不足になるので,自動車通勤は控えるか,少なくとも相乗りとする。可能であれば,徒歩か自転車で通勤する。

東北地方太平洋沖地震を経験して・その5 [東北地方太平洋沖地震]

 東北地方太平洋沖地震発生から2日後の2011年3月13日(日)午前10時のことです。
 東京電力の広報車が近所を回っていて,「火災防止のため,ブレーカーを上げる前には電化製品の状況を確認してください」とのお知らせが聞こえてきました。やっと電気が通じたようです。
 【みなと】も各製品に破損がないかを確認後,ブレーカーを上げました。その瞬間,冷蔵庫が  うぉぉぉ~ん と音を立てて動き始めました。その時の嬉しさと言ったら[わーい(嬉しい顔)]

 まず最初に携帯電話を充電。実は震災のあった晩に電池が切れてしまっていたので,友人とは音信不通状態だったのです。充電器をコンセントにつなぎ電源オンにすると,メールが次々と着信。お見舞いのメッセージが嬉しかったです[るんるん]
 職場の上司Saさんからも電話がありました。通勤可能な人達が,昼夜交代で後片付け等をやっているとのこと。震災発生時に早々と帰宅したことをお詫びし,【みなと】も月曜日は出勤する旨伝えました。
 
 それから,テレビもつけました。目に飛び込んできたのは,各被災地の深刻な状況。津波で破壊された街,家,押し流された車の山…思わず,本当にここが日本なの?と言いたくなりました。

 さらにパソコンを立ち上げ,ソネブロの管理ページに接続。たくさんの記事が「公開待ち」になっていましたが,それらを「下書き」に変更し,新たな記事を作成,投稿。
 こちらでもお見舞いのコメントをいただいていて,それが何より励みになりました[ぴかぴか(新しい)]

 …このように電気製品は使用可能になりましたが,断水状態が続いていたので,風呂や洗濯機は使えません。それでも手軽にお湯を沸かせるようになったので,やはり嬉しいですね[かわいい]

 ところで,この時すでにガソリン不足の深刻さが表面化してきていました。詳しくはまた明日に。
 今日の話からの教訓を。
[満月]携帯電話の電池残量には気を配る。できれば予備の電池パックを充電して用意しておく。

東北地方太平洋沖地震を経験して・その4 [東北地方太平洋沖地震]

 東北地方太平洋沖地震発生翌日の2011年3月12日(土)早朝。防災無線では,給水場所を知らせる放送が響いていました。停電と断水はまだ続いているようです。

 相変わらず余震が起きておりましたが,怖がってばかりもいられません。やれることをやろう!を合言葉とし,まずはプロパンガスを復旧させることに。
 ガスは震度5以上になると強制的に供給停止する仕組みになっています。元栓が閉まっていることを確認してから復旧ボタンを押しました。説明書では「復旧に数分程度かかる」となっていましたが,実際は2,3秒でSマークが表示されました
 再び元栓を開けてガスのスイッチをひねると,青い炎がバーッと出てきました。この時ほど,ガスのありがたさを感じたことはなかったです。早速お湯を沸かし,お茶を飲んだり顔を洗ったりしました。

 さて,食後は昨日に続き,家の片づけを開始。
 今日は家の中の散乱状態を何とかしようと。悲しいことに我が家はいらない物が多すぎるので,今後も頻繁に使用するものを厳選し,残りはプレハブ小屋に運ぶことに。しかし小屋の中も満杯なので,母はため込んでいた段ボールの処分を始めました。
 つられて【みなと】も部屋に行き,読まないけれど捨てられなかった本や雑誌を,思い切って紐で縛りました
 家の中は少しずつきれいになり,裏庭はあっという間に壊れた棚,段ボール,書籍や食器などで埋まっていきました。

 不用品の山を眺めていたら,頭の中を恐怖感がよぎりました。今回の地震で,もし最初に強い揺れが起こっていたら,母あるいは【みなと】は瞬時にこれらの下敷きになっていたのかもしれない,と。
 子供のころから「不用なものも衝動買いしてしまう」「使わないものもなかなか捨てられない」性分に悩まされてきましたが,今回の災害がシンプルライフに切り替えるきっかけになるかもしれない。一度には無理でも,この気持ちを忘れずに少しずつ実現させよう,と考えました。 

 ラジオからはずっと「津波で街が壊滅状態」「家や車がたくさん流されている」「連絡の取れない人が〇〇人」といったニュースが流れています。
 【みなと】は前向きな気持ちを得ることができましたが,それが困難な方も大勢いらっしゃるはず。様々な立場の人達を思いながら,自分にできることをしていかねば,と決心しました。

 それでは,また明日続きを掲載いたします。
 今日の話からの教訓を。
[満月]本当に必要なものだけを身の回りに置く。必ず使うもの以外は購入しない。しばらく使用していないものは,思い切って捨てる。

東北地方太平洋沖地震を経験して・その3 [東北地方太平洋沖地震]

 東北地方太平洋沖地震の発生から3時間以上経過した午後6時。あたりは暗くなり始め,気温も下がり,笠間市の防災無線からは避難所の案内が流れていました。

 このころ【みなと】家では,ガラスの割れたサッシをシートで目張りし終え,家の周りやプレハブ小屋の掃除も一段落したので,ランタンを燈して屋外で食事を開始。【みなと】とHはカップラーメン。お湯はHの簡易コンロで沸かしました。母は「食欲がない」と言いながらも,停電で冷蔵庫内の食材が傷むのを気にしてパクパク食べていました。

 ラジオはずっとつけていましたが,NHK第一から聞こえるのは津波に関するニュースがほとんど。地元の茨城放送に切り替えたら,各市町村ごとの停電や断水,避難所の情報なども流れていました。
 その後も2局を小まめにチェックしながら情報収集しましたが,自分が被災者である現実に直面し,気分がやや沈んできました。

 食後お茶を飲みながら3人で話し合ったのは,当面をどう乗り切るかと言うこと。飲料水と食料は何とかなりそう。プロパンガスが破損していなければ,電気がなくてもお湯が沸かせるしお米も炊ける。Hの自家用車のガソリンは満タンに近いので,買い出し等にも行ける。
 気持ちが幾分明るくなってきました。ガスの状況は明日確認することとし,夜8時過ぎには布団に入りました。
 
 母と【みなと】とで最も心配したのは,断水時の水洗トイレの水。こちらも幸いなことに,母が雨天時に空のペットボトルを外に置き,雨水などを貯めた状態で庭にストックしていました。本来の目的は「ガーデニング用(水不足時を想定していた)」ですが,これを流用することに。
 ペットから直接水を出しても汚物は流れにくいので,水はいったんバケツに入れ,はずみをつけて流そう(お食事中の方,大変失礼しました[もうやだ~(悲しい顔)],最悪の場合は家の前を流れる小川の水も汲んで使おう,と言う話になって…[たらーっ(汗)]
 その夜は,頻発する余震にビクビクしながらも,何とか仮眠をとりました。

 余談を。ご近所には井戸水使用のご家庭もありますが,停電中は電気ポンプが利用できないため,やはり御苦労なさったそうです。
 水の備えはするに越したことはないでしょう。

 では,続きはまた明日。
 今日の話からの教訓を。
[満月]断水時の水洗トイレ用などとして,空のペットボトルに雨水などを貯めておく。

東北地方太平洋沖地震を経験して・その2 [東北地方太平洋沖地震]

 東北地方太平洋沖地震の発生から約2時間後,茨城県笠間市の自宅に帰り着いた【みなと】は,母の無事を確認して一安心。その後間もなくHも帰宅し,家族全員そろいました。
 以下は母から聞いた,地震が起きた時の自宅の様子です。

 2011年3月11日(金),1階の居間で韓国ドラマを見ていた午後2時46分,ぐぉぉぉ~ と尋常でない地鳴りを聞いた母は急いでテレビ,コタツや電灯のスイッチを消し,立ち上がって様子を見ることに。
 その後も強い震動が断続的に発生し,一向に止まないので,部屋のドアを閉めて玄関から逃げました(ドアを閉じたのは,強い揺れで建物がゆがんだ場合,後で開閉ができなるなることを恐れたからだそうですが,この判断は正しかったようです。開け放しておいたドアは閉まらなくなりました)

 そしてついに,ものすごい横揺れが。出入口の門に必死にしがみついていた母は,家全体が左右に大きく波打つのを見て 「もうだめだー」 と覚悟を決めたとのこと。サッシが外れてガラスが割れるのも,塀がガラガラと崩れるのも,眺めているだけでどうすることもできませんでした。
 2分ほどで最大の揺れが収まり,家そのものは壊れずにすみました。母は急いで裏手に回りました。プレハブの物置小屋は無事な様子。
 家の裏口を開けたところ,家の中が散乱していました。大きな食器棚や仏壇は奇跡的に倒れませんでしたが,本棚や軽い食器棚はひっくり返っていて,足の踏み場もない状態。
 その後も強い余震が頻発していたので,母はすぐに「今日はプレハブで寝る!」と決心。震動を怖がりながらも中の片づけを始めました。

 母はもしもの場合に備え,日頃からペットボトルの水,インスタント食品,トイレットペーパー,電池などを適宜購入し,この小屋に保管していましたが,これが本当に役立つ日がこようとは夢にも思わなかったそう。またHも釣りが趣味で,遠征用に簡易コンロ,携帯ラジオや懐中電灯などを持っていて,これまた大いに助かりました

 実はこの日,母の好きなイベントが東京で開催されていたので,【みなと】はそちらに行くことを勧めましたが,母は「気乗りがしない」と言って出かけませんでした。
 これも結果としてはオーライでした。もし出かけていたら,帰宅予定は午後3時すぎ。14時46分には友部駅にいたはずなので,早い時間にはまず戻れなかったでしょうから。

 この続きはまた明日アップします。

 さて,今日の話からの教訓も2点。
[満月]強い地震が起きた時,自宅にいたら,可能であれば部屋などのドアを閉めてから逃げる。

[新月]当面必要と思われる分の水,食料,雑貨品などを備蓄しておく(もちろん,必要以上の買いだめは厳禁!)。あわせて防災グッズも,すぐ取り出せるところにおいておく。

東北地方太平洋沖地震を経験して・その1 [東北地方太平洋沖地震]

 本日から数回に分けて,今回の東北地方太平洋沖地震の様子や感じたことなどを断片的に綴っていこうと考えております。
 まだまだ強い余震が続きますし,他の地方でも今後大地震が起こる可能性も否定できないので,【みなと】の経験が皆様のご参考になれば幸いです。

 地震発生時の2011年3月11日(金)午後2時,【みなと】は茨城県筑西市の職場におりました。そこはビルの5階なので,地上よりも揺れを感じやすい場所です。
 発生最初はさほどでもなかったのですが,横揺れは収まるどころかどんどん強くなっていきます。同僚と協力して食器棚や書類棚を押さえておりましたが,ついに耐え切れなくなって非常階段まで逃げました

 一時的に揺れが止まりフロアに戻ってみたら,棚はひっくり返り,机の上も散乱。ガラスも食器も書類もメチャメチャに。軍手を使って破片を拾おうとしましたが,余震が頻発するため,全員で建物の外へ避難
 その後10分ほどで戻りましたが,携帯電話・固定電話ともに全くつながらず,皆さん家族との連絡が取れない状況(ちなみに午後3時時点では,電子メールのやり取りはできました)。 
 テレビの速報で茨城県北部は震度6強と流れたので,自宅にいるはずの母が心配な【みなと】は帰宅することに。
 駅のタクシー乗り場でひたすら待っていたら,30分ほどで乗車できました。国道はほとんど信号が消えています。どうやら停電になったよう。
 街の様子を眺めていると,塀が崩れたり,屋根瓦の一部が落ちているところが多く見受けられました。家全体が壊れてる,と言うのは見かけませんでした(後日この付近を通りましたら,屋根にブルーシートがかかっている家がほとんどでしたが)。

 そんなこんなで何とか帰宅したところ,家の周りの塀は壊れていて散乱(鉄筋が入っていない古いものです),家もサッシがはずれて倒れ,ガラスも割れていました(その状況は昨日の記事にいたしました)。
 母は怪我もなく,放心した状態で物置小屋を片づけていましたが,【みなと】を見て安心したのか,地震発生時の様子を一気に語りだしました。

 この続きはまた明日アップします。

 さて,今日の話からの教訓を2点。
[満月]強い地震が起きた時,地上にいたら,速やかに周りに建物等がない安全な場所に逃げる。建物の中なら,安全を確保できる場所(机の下や非常階段など)に速やかに逃げる。

[新月]家族と連絡が取れない場合は,できるだけ早く帰宅する。
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